沿革

最終更新日: 2011年3月28日

下諏訪町 地図

 下諏訪町は、長野県のほぼ中央に位置し、南は諏訪湖に面し、北には和田峠・鷲ケ峰があり、これらの山から流れ下る川の扇状地に発達した町で、西は岡谷市、東に諏訪市、さらに北は松本市・長和町に接しています。

 町の発祥は古く、石器・縄文時代にさかのぼることができ、多くの遺跡から狩猟用の鏃や土器などが出土しています。

 弥生時代になると、出雲の国から建御名方命(たけみなかたのみこと)が稲作の技術を携えて入り、諏訪湖のほとりに稲作、漁労の文化が栄えたといわれています。

 醍醐天皇(10世紀初め)の頃に作られた和名抄によると、信濃国諏訪郡名の中に、「土武郷」という地名があり、これが現在の下諏訪町と考えられています。

 鎌倉時代には、諏訪神社の大祝、金刺盛澄・手塚太郎光盛兄弟が木曽義仲や鎌倉幕府に仕えて活躍、また鎌倉五山建長寺の住職が慈雲寺を開山したり、御射山祭に全国の武将が集まるなど政治・文化的にも信濃の中心として発展しました。 戦国時代には武田信玄とのかかわりも深く、その当時の史跡、文化が現在でも偲ばれます。

 江戸時代になると、再び諏訪氏の治めるところとなり、中山道、甲州街道が合流する交通の要衝で、中山道随一の温泉宿場町として賑わい、また全国に一万余の分社を持つ諏訪神社の総本社としても栄えました。

 明治7年に7ヵ村が合併し下諏訪村となり、明治9年に筑摩県が廃止されて長野県の所管に入り、明治26年6月30日に町制を布いて下諏訪町と改称しました。

 大正を経て、昭和33年には隣接の岡谷市の一部、東町(編入後は社東町)と東山田を編入し、昭和58年に諏訪湖の面積分割があり、今日の下諏訪町を形成しています。

 また、平成5年には町制施行100年を迎えました。

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