騎馬行列の所作 第一区下の原

最終更新日: 2011年3月28日

  • 所在地 第一区
  • 所有者 第一区
  • 指定 昭和47年10月26日 町・無形文化財

 お騎馬または騎馬行列というが、大名の正式行列の様式を伝えるものである。江戸幕府の大名行列は享保(きょうほう)6年 (1721)には石高によってその人数の定めを見るようになった。高島藩の場合は馬上3~4騎、足軽20人、中間30人ということであったが、それを簡略化して、諏訪神社の御柱曳(ひ)きのときの警固に当った。これとは別に氏子達(たち)の寄合(よりあい)騎馬は、途中から御柱警固の一行に遅れ、観衆の所望にこたえて騎馬子の芸を披露して喝釆(かっさい)を博したりしたもので、これは奉納騎馬となり祭事を賑わすものになった。

 明治維新の変革で御柱祭は大きく変り、明治5年(1872)の御柱祭にはもう藩主その他の騎馬行列はなかった。次の明治11年(1878)の御柱祭には四賀村上桑原と普門寺のかつての騎馬子衆が寄合騎馬をつくって上社の里曳きに、古式そのままの奉納をした。

 この年下の原の氏子連中が下社へ奉納騎馬の計画をたて、四賀村の騎馬子6人を10日間泊まり込みで招き、伝授をうけて里曳きに奉納し、それから以後御柱毎に奉納騎馬として続けられている。

 下の原騎馬は出陣騎馬と云われ、掛声が短く、はきはきしており、動作は立って前へ前へというように上下に動いて威勢よく前進するのが特徴である。

 下の原騎馬行列の構成 (平成10年の場合)

(1)旗持  2人 (2)先払 2人 (3)色傘1人 (4)重藤(しげとう)弓 1人 (5)挟箱4人 (6)赭(しゃ)熊(ぐま) 3人 (7)徒士(かち)2人 (8)若党2人  (9)馬・馬方1人 (10)殿様 1人 (11)徒士 2人 (12)代傘  1人 (13)長柄(ながえ)槍(やり) 6人 (14)曲傘 6人 (15)草履取6人 (16)沓(くつ)籠(かご)1人

騎馬子の掛声
色傘  サーサー ヨーヤセー
挟箱  イーヨーイ マーカセー
赭熊  エーコレワー マーカセー
長柄槍  イーヤート マーカセー
全員  エーオーヤセー

騎馬行列 第一区下の原

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