諏訪大社下社 春宮幣拝殿・左右片拝殿

最終更新日: 2011年3月28日

  • 所在地 大門
  • 所有者 諏訪大社
  • 指定 昭和58年12月26日 国重要文化財

 下社は春になると、神が山から里に下って農耕を司(つかさど)るという農業の神様である。その年の農作物の作柄を占う「筒(つつ)粥(がゆ)神事」が毎年1月14日夕刻から翌未明にかけ、夜を徹して行われている。

 春宮は「杉(スギ)の木」を御神木として本殿がなく、原始信仰の姿を今に伝える神社で、こうした建て方を「諏訪神社造り」ともいわれている。

 祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)を主神として祀(まつ)る。かつて神仏習合の時代、別当寺であった観照寺の本尊が、春宮の本地仏「薬師如来」であった。

 春宮の幣拝殿は「御門屋(みかどや)」とも言われ、天正6年(1578)に下馬橋と共に造営された記録はある。現在の建物は、安永6年(1777)秋宮を立川和四郎富棟(とみむね)が請負うことを知った高島藩御用の宮大工村田長左衛門矩(とも)重(しげ)(大隈(おおすみ)流)は兄伊藤儀左衛門と相談して、春宮の建築を秋宮と同じ絵図面で、35両扶持米(ふちまい)なしで請負い、不足分は自分で勧化(かんげ)して造る旨の一札を出した。これは採算を度外視した秋宮の半額以下で、立川氏と競り合う形となり、すぐ仕事にかかった。秋宮より遅く始めて約1年早く、安永8年(1779)6 月工事を終えている。大隈流は完成した「規矩(きく)」(規則・技法)を持った当時全国に知れた一派である。

 一間一戸の楼門造りの幣殿と拝殿。屋根は切妻造平入の銅板葺(ぶき)(元は桧皮(ひわだ)葺)正面は軒唐波風をつけ、二階四方は吹き放ちとなる。

 左右の片拝殿は、桁行(けたゆき)柱間5間(11m)梁行(はりゆき)同1間(3.1m)屋根は棟を上げ「片流招屋(かたながれまねきや)造」で、正面側に屋根が長く裏面側は短くなっている。三面は吹き放ち、裏面に格子窓がはめてある。

 拝殿正面下には、飛(ひ)末(まつ)をあげる波から上層に向かって、水・空・地の構成で彫刻を配置している。虹(こう)梁(りょう)上の牡丹(ぼたん)花咲く岩野に戯れる親子獅子(じし)、木鼻の唐獅子、持送り牡丹、上層中央には二体の麒麟(きりん)、若葉を彫る虹梁の上には雲をまく龍(りゅう)、側面の鶴(つる)と様々の彫刻に囲まれている。
幣拝殿内部の桁に巻きついた守護龍には真迫感がある。両脇(わき)羽目の竹に雌雄の鶏、欄間の獅子等写生に徹した彫刻の美的構成は見事で大隈流の代表作と言えよう。

諏訪大社下社 春宮幣拝殿

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