諏訪大社下社秋宮神楽殿

最終更新日: 2011年3月28日

  • 所在地 上久保
  • 所有者 諏訪大社
  • 指定 昭和58年12月26日 国・重要文化財

 この神楽殿は幣拝殿の前に建てられ、梁行(はりゆき)(正面)柱間 3間(8.8m)、桁行(けたゆき)(側面) 5間(13m)周囲に幅1.5mの切り目縁に擬宝珠勾欄(ぎぼしこうらん)をめぐらした平屋建である。前方の 3間は吹放ちの舞台であり、後方 2間は楽所(がくしょ)(音楽を奏するところ)や拝殿となっている。棟がT字形になる撞木造(しゅもくづくり)に似た造りで、屋根は銅板葺(ぶき)である。したがって前方の舞台部分は切妻で妻入り、後方は平入りとなっている。

 飾りの彫刻は比較的少ないが、屋根に変化をつけ軒は広く、柱・虹梁(こうりょう)・桁など太い材を用い、大規模で重壮な感じが出ている。華麗な幣拝殿とは趣が異なるが、よく調和がとれていて、幣拝殿を引き立てている。

工匠は二代立川和四郎富昌(たてかわしろうとみまさ)で、秋宮幣拝殿を建築した富棟(とみむね)の子である。建築・彫刻の技はすべて父から受け継ぎ、天性の才能と非凡な努力により全国へ諏訪の立川流の名をなさしめた名匠で、その技は父富棟に勝るともいわれ、後に幕府から内匠(たくみ)の称号を許されている。

 この神楽殿は、天保 3年(1832)施工をはじめ、同 6年に上棟式を挙げている。この建築は下社大祝金刺豊成(おおほうりかなさしほうせい)信古(のぶふる)のときで、来遊中の飛騨(ひだ)高山の国学者田中大秀(たいしゅう)が勧化帳(寄進帳)の冒頭に、神社の由緒や神楽殿建築の趣意を載せている。

正面の妻には大注連縄(おおしめなわ)が飾られているが、これはかつて出雲(いずも)大社奉賛会の人々の指導を受けて作られた注連縄で、近年は御柱年に新しく作り替えて飾られている。

諏訪大社下社秋宮神楽殿

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