青塚古墳

最終更新日: 2011年3月28日

  • 所在地 横町木の下
  • 所有者 諏訪大社
  • 指定 昭和40年 2月25日 県・史跡

 下諏訪町横町木の下の青塚は諏訪大社社有地にある。古墳が立地する台地は霧ヶ峰から伸びた山塊が平坦(へいたん)となり、その中心には秋宮が鎮座し、古墳の位置は北西の隅といえる場所にある。現在は人家に囲まれ北側だけが道路によって開けているが、狭隘(きょうあい)な地となって、墳丘には欅(けやき)の大木で守られている。

 この墳丘は、諏訪地方では唯一の前方後円墳の一種である。その規模は、墳長57mで中軸線はN22°Wを示し、後円部径(南丘)は24mであるが、東側は削られ部分を復元すれば径34mほどの大きさとなる。高さは8.1m、前方部(北丘)は径35m、高さ7.7mで復元すると 40mほどになるが東側は削られ、西側には青塚社があるなどで奇妙な形となっている。

 石室は後円部の西側に開口し、半分以上が露出している。安山岩の自然石で積み、天井石も大きな平石を使用しているが、羨道(せんどう)部は破壊されている。全長約5.5m、奥壁幅2.15m、石室床面のレベルは墳(ふん)裾(きょ)より約5.0m上っている。石室は横穴式石室で、諏訪地方の小円墳と全く同じ様式であり、羽子(はご)板状を呈している。この石室内部からの遺物は須恵器の杯(つき)、小玉以外は全くその所在や伝承すら残っていない。

 墳麓(ふんろく)には円筒埴輪(はにわ)が発見され、これも諏訪で唯一である。嘉永のころの記録に背丈4尺(120cm)の武人埴輪を発見し、再び埋めもどしたとの伝承があるが、今日見るものは円筒埴輪の破片ばかりである。
 この古墳は、下諏訪の大半と岡谷市まで見おろすことができることから、かなりの権力者のものと思われる。古墳が7世紀末から8世紀の築造とすればおそらく金刺の有力者か、あるいはそれ以前下社を主宰した権力者などが浮かびあがるが、天竜川沿いに点在する前方後円墳などと比較しながら考えねばならないであろう。

青塚古墳

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