土田遺跡朱彩壺形土器
最終更新日: 2011年3月28日
- 所在地 西高木 諏訪湖博物館・赤彦記念館
- 所有者 下諏訪町
- 指定 平成14年12月26日 町・考古資料
土田遺跡は、承知川右岸の諏訪湖に向かってひらけた台地上に立地する縄文時代から古代におよぶ遺跡である。土器が発見されたのは、昭和6年(1931)の住宅建設の際で、土砂採取のために斜面部を切り崩したところ、その断面から竪穴(たてあな)が見つかり、竪穴の底部付近から土器片や石器と共に出土した。
この土器は縄文時代晩期の土器で、この時代に東北地方を中心として分布した大洞(おおぼら)式土器に比定されるものである。口縁部・底部周辺及び、頸部(けいぶ)に付けられた隆帯に欠損がみられるが、ほぼ完形をとどめている。
円筒状の頸部と球形の胴部からなる壺形(つぼがた)の土器で、器高18.5cm、口径6.8cm、胴部の最大径は約15.2cmである。器壁の厚さは頸部・胴部共に約0.5cmと非常に薄く、硬く焼きしめられている。
頸部に4単位の突起をもつ2条の隆帯を貼付(てんぷ)し、口縁部下に1条、胴部上半に2条の沈線を巡らせる。器面全体は丁寧に磨かれており、黒く焼き上げられた器面に、赤色の顔料で、朱彩は土器の外面から、円筒状の頸部の内面にかけて丹念に施されている。
底部には直径約2.5cmの穿孔(せんこう)がみられるが、形状などから人為的に穿(うが)たれたものと思われる。
この土器の製作技法や胎土は当地方のものとは異なり、東北地方に特徴的に見られるものである。このことから、土器は当地方で作られたものではなく、東北地方でつくられたものが当地に持ち込まれたものと考えられる。また、完形をとどめており、各部の形態や製作技法が明確であるといった点も重要である。
このような出土例は周辺の遺跡にはみられず、土田遺跡を含めた周辺地域と、東北地方との当時の交流を考える上で貴重な資料といえる。
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