島木赤彦住居(柿蔭山房)

最終更新日: 2019年7月6日

  • 町指定文化財(建造物) 昭和57年3月26日指定 
  • 所在地 下諏訪町9180(北高木)
  • 所有者 下諏訪町

概要

 短歌集団アララギ派のリーダーとして写生に基づく幽寂な歌境を示すとともに、鍛錬道を説いて活躍した歌人島木赤彦(1876~1926/本名 久保田俊彦)の旧宅である。

 梁(はり)行(正面)7間半(13.5m)桁(けた)行6間(10.8m)の茅葺(かやぶき)の母屋は、文化・文政年間(1804~1829)の建築と推定され、ほぼその当時のままの姿を今に伝えている。

 久保田家は高島藩に仕えた散居武士で、家伝によれば承応2年(1653)にこの高木に移り住み、農業をしながら藩に仕えた。したがって、赤彦ゆかりのものと同時に士族の家としての評価も高い。

 以前、母屋は土蔵と接近していて樹齢二百数十年といわれ甲州道中でも知られていた老松は、家の西側に位置していたが、松の大枝が屋敷に重なり松の生長を妨げるので、昭和30年代(1955~1964)に北に8m、東に1.5m移動し、今のような位置になった。

 赤彦は明治から大正にかけ県内で教員をしていたが、大正3年(1914)に上京し、短歌誌「アララギ」の編集に携わるとともに、歌人として後進の指導にあたったが、大正15年(1926)3月27日にこの家で亡くなるまで、ここが活動の本拠であった。

 高木集落は諏訪地方でも柿の木の多いところで、赤彦は、柿の実の丹(あか)が好きだったらしく「柿の村人」「柿の村舎(むらやど)」のような筆名の時期もあり、大正8、9年(1919~1920)ごろ、この家を「柿蔭山房(しいんさんぼう)」と命名したようである。

 柿蔭山房から眺めた諏訪湖などの風物や暮らしている家族を詠んだ名歌は400首以上にのぼる。また、この茅葺の屋根からさがった「つらら」を詠んだ童謡など、ほとんどの童謡はこの家でつくられたものである。

 昭和54年(1979)久保田家より下諏訪町に寄贈された。

 

 公開期間

 内部公開:7月~10月の土曜日、日曜日、祝日 午前9時~午後5時まで

 屋外(庭園)については、いつでも御覧いただけます。

入館料

 無料

交通情報

 お車でお越しの方:
  長野自動車道岡谷ICから約20分

 公共交通機関でお越しの方:
  JR中央本線下諏訪駅から町営バス「あざみ号」高木・高浜線 「高木公民館前」(フリー乗降区間)下車 徒歩1分

 下諏訪町の観光情報

 柿蔭山房のほか、下諏訪町観光案内所ホームページでは、観光、宿泊、おみやげ情報など満載です。 是非こちらのリンクにもお立ち寄りください。

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