銕焼地蔵堂

最終更新日: 2011年3月28日

  • 所在地 横町木の下
  • 所有者 引接山来迎寺
  • 指定 昭和54年 7月30日 町・建造物

 この地蔵堂は享保(きょうほう)14年(1729)に上諏訪(かみのすわ)高部村(現茅野市宮川高部)の宮大工藤森次左衛門が建て始め、翌々年享保16年2月完成した。現在町内で建立年月日の明らかなものの内最も古いものである。

 堂は三間宝形造(ほうぎょうづくり)で一面5.6m、向拝付きで5段の階(きざはし)、その上に切り目縁(高さ95cm)が三面にめぐらされている。丸柱(柱径21cm)上部を絞り三斗組で支え、二重垂木(たるき)で屋根は銅板葺(ぶき)である。正面扉は両折(もろおり)両開で連子(れんじ)窓付き、長押(なげし)の上には蓮(はす)の花の彫刻で飾られている。向拝柱は角柱の唐戸面で梁(はり)の木鼻は側面に漠(ばく)が付けてある。

 内部の外陣と内陣は丸柱で分けられ、正面奥の須弥壇(しゅみだん)の上に秘仏の銕焼地蔵尊が厨子(ずし)の中に置かれている。厨子は正面64cm、側面64cm、高さ81.5cmで、文政9丙戌(ひのえいぬ)年(1826)上諏訪桑原町(現諏訪市桑原町)の土橋長右衛門が寄進したものである。その両側には木彫彩色の十王像が安置されている。欄間の中央には鳳凰(ほうおう)、左右には天女の彫刻が極彩色で飾られている。外陣の格(ごう)天井には格間に梅・葡萄(ぶどう)・牡丹・鶴・雉(きじ)・鷺(さぎ)・鳩・亀等の花鳥獣の図が描かれ、内陣の格天井には格間に一字ずつ梵字が書かれている。

 銕焼地蔵尊の額は縦36cm、横66.5cmで裏に「延享元年(1744)六月二十六日 於下諏方横町 願主小口仁右エ門と銘記がある。堂完成から額は13年後に、厨子は95年後に作られた。

銕焼地蔵堂

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